犬の散歩

初めて一緒に暮らしたウサギが死んでしまった後、気に入っていたヘアアクセサリーがなくなっている事に気付いた。気に入っているものがなくなると、見つかるまで探さなければ気が済まない性分だったが、物がなくなったことなんてどうでもよいと思い、探さなかった。打ちひしがれる気持ちは、普段の行動さえ変えてしまう。f:id:wagacat37:20190127234741j:image

当時は、犬の散歩をよく見かける地域に住んでいた。小ぶりの愛くるしい犬を散歩する人々。動物好きな私は、連れている人間にはあまり興味はいかず、犬が嬉しそうだなあとか、年配の犬だなとか思っていた。
長らく一緒に暮らしていたウサギが死んでしまった後、犬の散歩を見かけると、あの犬もいつかは死んでしまう、あの飼い主はどんなに辛いことだろうと思うようになった。そんな思いを抱くようになると、それまでは微笑ましい気持ちで見ていたものも、辛い気持ちを助長するものでしかなくなっていた。

心のありようで、見え方、感じ方が変わる。わかっていたつもりだが、実感した出来事だった。泣きそうな心持ちでも、平静を装い日常をこなしていく毎日。重い心を引きずりながらなんとか過ごして行くうちに、また嬉しそうに散歩をする犬を見ている自分に気づいた。時が経ち、重く居座っていた悲しみが自分に同化された頃、周囲の人々に対する気持ちが変わった。平然としていても、悲しみを抱えながら生きている人は沢山いるのだと。
辛い経験をしていいこと、それは一見理解できないような他人の行動や物事に、何か事情があるのかもと想像する事を覚えたことだ。想像することで、自分の気持ちも和らぐ。こうして、ちょっとずつ生きやすくになっていくのだと思いたい。

葉牡丹と青虫

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長らく一緒に過ごした、うさぎのらび太に、花を供えられる季節がやってきた。今は、ピンクのカーネーションと紫色の菊を写真の後ろに置いている。この花のコンビは丈夫で、長持ちするありがたい組み合わせだ。

 

菊を見ると、以前住んでいたアパートの大家さんを思い出す。大きめの一戸建ての二階を改装したアパートで、大家さんは一階に住んでいた。彼女はいわゆるグリーンフィンガーで、季節ごとに植木を育てていた。春から初夏は朝顔、晩夏から秋は菊というように。毎年、品評会に出品して賞を貰っていたようだ。

 

ある年の暮れに、大家さんから葉牡丹の寄植えをいただいた。葉牡丹という文字からは想像がつかない、美しくレイアウトされた寄植えだった。私は嬉しくて狭いベランダに飾り、世話を始めた。気候が穏やかになって来た頃、葉が虫食い状態になっていることに気づいた。よく見ると、5〜6匹の青虫がついていた。びっくりして、ティッシュで掴んだ。虫の一生は短い。無事に蝶に成長するように願いながら、雑草の繁った1階の庭に落とした。

 

数日してから、その葉牡丹の鉢植えを見てみると、葉がほぼなくなっていた。青虫は、もういないはずなのに。まじまじと見ると、一匹残っていて、その青虫が葉を食い尽くしてしまったらしい。もう食べる葉はない。気の毒に思い、翌日、近くのお花屋さんで葉牡丹の鉢植えを買って来た。青虫の食料兼住みか用に。ベランダに出し、青虫を引越しさせようと見ると、姿が見当たらなかった。鳥に啄ばまれてしまったのだろう。葉のない葉牡丹についていた青虫は、よく目立ったに違いない。私はがっかりした。

 

小さな青虫にさえ、思いがけない事が起こる。ある日、仲間が居なくなり、食料の葉牡丹を独り占め。食べ尽くしてしまい、ついには鳥の餌食に。先々、何が起こるかわからない、ということについてはあらゆる生物は平等だ。鳥に啄ばまれるように、思いがけず一生を終えることもある。
人間の私は、今日も無事に一日を過ごせてよかった、と夜布団に入る。朝、つつがなく眼が覚める。また一日が始まってしまうかと起き上がりながら、そんな日々をありがたくも感じる。
青虫の食料兼住みかになる筈だった葉牡丹には、思いがけない幸運になったかな。

憧れの人と洗脳

友人が、ブログやればーと提案してくれたので、素直にそうかー、と始めることにした。誰からの期待もないし、将来、自分が読み返したら面白いかもという位の理由で。

 

私には、2〜3年に一度か、年に数度会う憧れの人がいる。友人達はよく知っているし、大半の友人がその憧れの人が出来てからの付き合いだ。その長らくの憧れの人は、アメリカのギターリストで80年代の洋楽全盛時代にオールスターメンバー的なバンドで世界的に有名になった。それ以前から玄人受けする人ではあったらしい。

 

当時は洋楽のミュージックビデオが盛んにテレビで流れていた。そのひとつ小林克也ベストヒットUSAという番組で、絢爛豪華な(けばけばしいともいう)ステージを収録したビデオの中でギターを弾いていた人だった。その頃、私は高校生で、中学時代の長髪ハードロックは苦手という時を経て、長髪も受け入れられる状態だったらしい。ボン ジョビが大ヒットして1枚のアルバムで2度日本に来た時代。

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長身ですらりとしたスタイルでギターを華やかに弾きこなす姿に、まさにイチコロだった。友人には爬虫類系とか言われながらも夢中になり、御茶ノ水にソロアルバムを買いに行った。ひと足遅く、売り切れた後で、帰り道、御茶ノ水駅に至る坂を歩きながら、絶対に手に入れる、絶対に好き!と確信したことを今でも覚えている。


壁に雑誌の記事から取った写真を貼り、大好き、私が一番好き、いつか必ず会うと思いながら、夜、布団に入っていた。今から思えば、10代の柔軟な頭に自ら強力な洗脳をしていたようなものだった。そして、間違いなくその延長線上の時間を、今も私は生きている。