犬の散歩

初めて一緒に暮らしたウサギが死んでしまった後、気に入っていたヘアアクセサリーがなくなっている事に気付いた。気に入っているものがなくなると、見つかるまで探さなければ気が済まない性分だったが、物がなくなったことなんてどうでもよいと思い、探さなかった。打ちひしがれる気持ちは、普段の行動さえ変えてしまう。f:id:wagacat37:20190127234741j:image

当時は、犬の散歩をよく見かける地域に住んでいた。小ぶりの愛くるしい犬を散歩する人々。動物好きな私は、連れている人間にはあまり興味はいかず、犬が嬉しそうだなあとか、年配の犬だなとか思っていた。
長らく一緒に暮らしていたウサギが死んでしまった後、犬の散歩を見かけると、あの犬もいつかは死んでしまう、あの飼い主はどんなに辛いことだろうと思うようになった。そんな思いを抱くようになると、それまでは微笑ましい気持ちで見ていたものも、辛い気持ちを助長するものでしかなくなっていた。

心のありようで、見え方、感じ方が変わる。わかっていたつもりだが、実感した出来事だった。泣きそうな心持ちでも、平静を装い日常をこなしていく毎日。重い心を引きずりながらなんとか過ごして行くうちに、また嬉しそうに散歩をする犬を見ている自分に気づいた。時が経ち、重く居座っていた悲しみが自分に同化された頃、周囲の人々に対する気持ちが変わった。平然としていても、悲しみを抱えながら生きている人は沢山いるのだと。
辛い経験をしていいこと、それは一見理解できないような他人の行動や物事に、何か事情があるのかもと想像する事を覚えたことだ。想像することで、自分の気持ちも和らぐ。こうして、ちょっとずつ生きやすくになっていくのだと思いたい。